7月6日はサラダ記念日|俵万智が短歌で変えた日本語と、今も続く日常の記念日

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7月6日と聞いて、何を思い浮かべますか。

多くの人にとっては、特別な祝日でもイベントでもない、ごく普通の一日かもしれません。しかし、日本語の世界に少しでも親しみがある人にとって、この日は少しだけ意味を持つ日です。

そう、「サラダ記念日」です。

私は7月6日になると、毎年のように「今日はサラダを食べよう」と、なんとなく決めています。特別な理由があるわけではありません。ただ、そうしたくなる日なのです。

今年も例にもれず、買ってきたのは食べきりサイズのカット野菜。無駄がなく、安くて、調理の手間もいらない。こうした存在が当たり前になった現代だからこそ、あらためて「サラダ記念日」という言葉の力を感じます。

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7月6日はなぜ「サラダ記念日」なのか

7月6日がサラダ記念日と呼ばれる理由は、ある一首の短歌にあります。

それを世に送り出したのが、女流歌人俵万智さんです。

彼女の代表作であり、社会現象とも言える大ヒットとなった歌集サラダ記念日。そのタイトルにもなった短歌の中に、「この味がいいねと言われた日を、サラダ記念日とする、という一節があります。

この一首が発表されたことで、7月6日=サラダ記念日という認識が、多くの日本人の中に静かに、しかし確実に根付いていきました。

法律で決まった記念日でもなく、企業が作ったキャンペーンでもありません。たった一首の短歌が、人々の日常行動にまで影響を与えた。これは冷静に考えると、かなりすごいことです。

俵万智が短歌を「特別なもの」から「身近なもの」へ変えた

俵万智さんがこの歌集を刊行したのは1987年。年齢はわずか24歳でした。

当時、短歌といえば「難しい」「古典的」「教科書の中のもの」というイメージを持つ人が多かったジャンルです。

そこに登場したのが、日常の会話そのままのような言葉で、恋愛や生活の一瞬を切り取る短歌でした。

・特別な言い回しをしない ・気取らない ・誰でも理解できる

それでいて、なぜか心に残る。この感覚が、多くの人の価値観を揺さぶりました。

結果として、「短歌は難しいものではない」「自分の日常も短歌になる」という認識が一気に広がります。サラダ記念日は、その象徴的な存在と言えるでしょう。

なぜ今も7月6日にサラダを食べたくなるのか

サラダ

不思議なことに、サラダ記念日という言葉は、今も色あせていません。

SNSでは毎年7月6日になると、「今日はサラダ記念日なのでサラダを食べました」という投稿が自然発生的に増えます。

これは義務感ではありません。 「そういえば、今日はサラダ記念日だったな」という、軽やかな連想です。

記念日というのは、本来こういうものなのかもしれません。 何かを買わせるためでも、何かを強制するためでもなく、日常に小さな彩りを加える存在。

コンビニやスーパーで手軽に買えるカット野菜が普及した今、サラダは特別な料理ではなくなりました。だからこそ、「今日はサラダ記念日」という言葉が、余計にしっくりくるのです。

サラダ記念日が教えてくれる「言葉の力」

サラダ記念日がこれほど長く愛されている理由は、「共感」にあります。

・誰かに「この味いいね」と言われた経験

・何でもない一日が、ふと特別に感じられた瞬間 ・恋や生活の中の、小さな喜び

こうした感覚は、誰にでも覚えがあります。その普遍性こそが、この短歌の強さです。

俵万智さんは、日本語の可能性を広げました。 難解な言葉を使わなくても、人の心は動かせる。 日常こそが、文学になり得る。

これは短歌に限らず、文章を書く人、発信する人すべてにとって、今も有効なメッセージです。

まとめ

7月6日がサラダ記念日と呼ばれる理由は、一冊の歌集と、たった一首の短歌にあります。

しかし、その影響は文学の枠を超え、私たちの日常にまで及びました。

サラダを食べる。 それだけの行為に、少しだけ意味を与えてくれる言葉。

今年の7月6日も、特別なことは何もなくていいのです。 スーパーで買ったカット野菜でも、家にある野菜でも構いません。

「今日はサラダ記念日だな」と思いながら食べるその一皿が、少しだけ豊かな時間になる。 それこそが、俵万智さんが私たちに残してくれた、いちばん大きな贈り物なのかもしれません。

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