「赤とんぼ」は、日本人なら誰もが一度は耳にしたことのある、まさに国民的な唱歌です。
作詞は詩人の三木露風、作曲は日本近代音楽の礎を築いた山田耕筰。この組み合わせだけでも、作品としての格の高さがうかがえます。
2007年1月、文化庁が発表した「親子で歌いつごう 日本の歌百選」にも、「赤とんぼ」は当然のように選ばれました。むしろ、ここに入っていなければ驚くほどの存在感を持つ一曲だと言えるでしょう。
それほど有名な曲でありながら、恥ずかしながら私は長い間、この曲のタイトルを「夕焼け小焼け」だと勘違いしていました。
歌い出しの情景があまりにも夕暮れそのものなので、完全に思い込みです。気づいた瞬間、「日本人としてこれはちょっと恥ずかしいな・・・・」と、思わず苦笑いしてしまいました。
しかし、そんな勘違いをしていた自分を責めるよりも、「それだけ日本人の原風景として、この曲が染み込んでいる証拠なのかもしれない」とも感じました。
赤とんぼ、夕焼け、山の向こう、幼い日の記憶。これらは説明されなくても、音を聴いただけで心の奥から自然に立ち上がってきます。
「赤とんぼ」の歌詞には、派手な言葉も、大げさな表現もありません。それなのに、なぜこんなにも胸に迫るのでしょうか。
それはきっと、この歌が「個人の思い出」を歌いながら、同時に「日本人全体の記憶」に重なっているからだと思います。聴く人それぞれに違う風景が浮かび、それでいて不思議と共通の温度を持っている。これほど強い歌は、そう多くありません。
大人になってから聴く「赤とんぼ」は、子どもの頃とはまったく違う響きを持ちます。懐かしさだけでなく、少しの切なさ、そして戻れない時間への静かな諦念のようなものも混じってきます。その感情の揺れこそが、この曲の深みなのでしょう。
「赤とんぼ」が今も歌い継がれている理由は、決してノスタルジーだけではありません。
この曲には、日本人が大切にしてきた感情の輪郭が、確かに刻まれています。だからこそ、親から子へ、さらにその先へと、自然に受け渡されていくのだと思います。
改めて曲名を正しく知った今、少し背筋が伸びるような気持ちで「赤とんぼ」を聴いています。
知っているつもりで、実はちゃんと向き合っていなかった名曲。そう気づかせてくれたこと自体が、この歌の力なのかもしれません。


