旧優生保護法とは何だったのか──日本が抱えた“負の遺産”と今なお続く問い

旧優生保護法とは何だったのか。戦後日本で制定された「不良な子孫の出生防止」を掲げた法律の真実と、被害者たちの苦しみを振り返る。
日本にはかつて、「旧優生保護法」という法律が存在しました。 それは1948年に制定され、「不良な子孫の出生を防止する」と明記された、いわば“優生思想”に基づく法律でした。 戦後まもない混乱の時代に生まれたこの法律は、社会の「効率」や「正常性」を優先しすぎた結果、人権を踏みにじるものとなっていったのです。
ナチス・ドイツをモデルにした“優生思想”の広がり
旧優生保護法のモデルとなったのは、ナチス・ドイツの「断種法(優生法)」でした。 この法律は、知的障害や精神疾患などを理由に強制的な不妊手術を行うことを正当化したものです。 驚くべきことに、こうした法律はナチス・ドイツだけでなく、当時のアメリカやデンマークなどの国でも存在していました。 つまり、「優れた遺伝子だけを残す」という発想は、当時の“科学的常識”として広く共有されていたのです。
しかし、その「科学」は人の尊厳を無視したものであり、誰が「不良」かを決めるのは国家や医師という権力者でした。 人の生き方を線引きするような法が正しいはずがありません。 それでも当時の日本は、この流れに乗ってしまったのです。
本人の同意なしで行われた不妊手術の実態
旧優生保護法では、知的障害や精神疾患、遺伝性の疾患があると診断された人に対し、 都道府県の審査会が「手術が適当」と判断すれば、本人の同意なしで不妊手術を実施できました。 しかも「騙してでも手術してよい」とする通達まで出ていたというのです。 信じがたいことに、これが“公的に認められた行為”だったのです。
戦後の日本は復興の真っただ中にあり、「健康で働ける国民を増やす」という名目が優先されました。 けれども、その裏では、声を上げることもできない人たちが苦しみ、人生を奪われていったのです。 その数は、強制・任意を含めて約2万5000人にも上ります。
国際社会の批判と、改正への道のり
こうした優生政策は、国際的にも大きな非難を浴びることになります。 人権の尊重が世界の流れになる中で、日本もついに1996年、旧優生保護法を改め「母体保護法」として再出発を切りました。 しかし、被害者たちは長い間「存在しないもの」として扱われてきました。
2019年には国が初めて旧優生保護法による被害を公式に謝罪し、 救済法を制定して一時金を支給することになりました。 それでも、「奪われた人生」は戻りません。 多くの被害者は沈黙を強いられ、苦しみを抱えたまま生きてきました。
私たちは、もう同じ過ちを繰り返してはならない。 この歴史を「過去の話」として忘れるのではなく、今を生きる私たちが何を学ぶか、どう受け止めるかが問われています。
“生まれてきた命には、誰ひとりとして不要な存在はいない”── 旧優生保護法は、私たちにそのことを強く思い出させる法律なのです。
まとめ──私たちが忘れてはならないこと
旧優生保護法は、戦後の混乱と科学信仰のなかで生まれた“国家の過ち”です。 しかし、それは「昔の話」ではありません。 現代社会でも、障害や疾患を理由に差別が残っている現実があります。 だからこそ、私たちはこの歴史を直視し、誰もが尊重される社会を築く責任があります。 人を「選ぶ」社会ではなく、互いの違いを認め合う社会へ──。 旧優生保護法が残した痛みを教訓に、未来への対話を続けていくことが、今を生きる私たちに求められています。


