アントニオ猪木さん死去:プロレス界の象徴が遺したもの
2022年10月1日、日本のプロレス界にとって大きな衝撃が走りました。アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至)が、全身性アミロイドーシスという難病と闘い続けた末、自宅で息を引き取りました。79歳でした。かねてから闘病中であることは知られていたものの、やはりこの訃報は受け止めきれないほど大きく、私を含め多くのファンが深い悲しみに包まれました。
プロレス界に革命を起こした“燃える闘魂”

アントニオ猪木の名前を聞けば、多くの人が「燃える闘魂」「元気ですかー!」という力強いフレーズを思い浮かべるでしょう。しかし、その言葉以上に彼が残した功績は桁外れでした。新日本プロレスの創設、世界を相手に挑み続けた闘志、そしてプロレスという枠を超えてスポーツ、政治、国際交流へと広げた影響力。まさに唯一無二の存在と言えます。
1972年、新日本プロレスを旗揚げし、日本プロレス界に「強さ」を軸とした全く新しい価値観を持ち込みました。そして、あの伝説のモハメド・アリとの異種格闘技戦。プロレス史だけでなく格闘技全体においても語り継がれる試合であり、今なおさまざまな角度から議論され続けています。猪木さんは常に「未知への挑戦」を掲げ、挑み続ける姿勢をやめませんでした。
政治家・国際人としての顔と、人間・猪木寛至の魅力
猪木さんはプロレスラーでありながら、政治家としても強烈な存在感を放ちました。スポーツ平和党を立ち上げ、参議院議員を務めたことはよく知られています。とくに北朝鮮との橋渡し役として奔走し、日本では誰も実行できない独自の外交を展開しました。一人で平壌に乗り込むその行動力もまた、「猪木だからこそ実現できた」と称されます。
私自身、猪木さんの「人のためなら何でもやる」という姿勢に強く惹かれてきました。豪快で破天荒でありながら、誰よりも温かい。そして何より、どんな困難でも正面から受け止める強さと優しさ。それはリングの上でも、政治の場でも、人としての生き方でも変わらない一本の太い芯でした。
彼を苦しめた難病「全身性アミロイドーシス」とは
晩年の猪木さんを苦しめたのが「全身性アミロイドーシス」という非常に稀で難治性の病気です。この病は、体内で異常なタンパク質(アミロイド)が作られ、心臓・腎臓・消化管・神経などさまざまな臓器に沈着することで機能障害を引き起こします。進行すると息切れ、むくみ、下痢・便秘の交互発生、倦怠感、四肢のしびれなど、生活に重大な影響を与える症状が次々と現れます。
とくに心臓にアミロイドが沈着すると心不全を引き起こし、歩行すら困難になる場合もあります。猪木さんが晩年、車椅子での活動が増えていたのも、この病気の影響が大きかったとされています。治療法は存在するものの進行を完全に食い止めるのは難しく、患者本人だけでなく周囲の家族にとっても精神的な負担が大きい病気です。
それでも猪木さんは最後まで前向きでした。YouTubeで闘病姿を公開し、弱った姿すら隠さず「生きるとはなにか」を問い続ける姿は、多くの人の心に勇気を与えました。病と闘いながらも、人生を全力で生きる姿勢は、まさに“燃える闘魂”そのものでした。
偉大なる挑戦者が遺したもの

アントニオ猪木の存在は、プロレス界だけでなく日本のエンターテインメント、政治、国際交流、そして「人生をどう生きるか」という根本的なテーマにさえ影響を与えました。彼が残した「道」という詩には、「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。」という有名な一節があります。この言葉に励まされた人は数え切れないでしょう。
私自身、猪木さんの訃報に触れ、あらためて彼がどれだけ特別な存在だったのかを痛感しました。その生き方、挑戦し続ける姿勢、言葉の力。すべてが今も胸に響いています。「元気ですかー!」というあの声が、もう二度と聞けないと思うと寂しい気持ちでいっぱいですが、彼が残した精神は今も確かに生きています。
アントニオ猪木さん、本当にお疲れさまでした。そしてどうか安らかにお眠りください。心からご冥福をお祈り申し上げます。


